60歳を過ぎると、子供のときと、全く違った人に成っている

歳のとり方 鈴木和彦

同じ村の、同級生。8厘と呼ばれ、一割に二厘足りない、ちいとばかり、間尺に合わなかった男である。

長男とその妻が死んで、家族はすべて、浜松にいる。

鈴木のでかい家が、空き家になっちまう。独り者の、次男和彦(65)が、移ってきた。

去年の夏、彼の兄貴の新盆と、俺の親爺の新盆で、50年ぶりに、和彦と話した。

8厘のイメージだったのが、ものの10分も経たぬうちに、

あれっ昔の和彦じゃぁ無いぞ、話の仕方は、家具職人風でカタカナ言葉が、全く無かったが、50年を一生懸命生きてきた者にだけ、共感できる仕事を大事にしてきた男、職人として使われる身であったが、やってきた仕事を、楽しそうに話す話の中には、

会社や社長への感謝が感じられて、(給料だって中卒だから、そうはもっらてはいないはず) 

今の境遇(毎日2時間浜松へ通う) 土日は、なれない百姓とよく分からない、村付き合い 

その話しぶりまでもが、楽しそうに話す、変にへりくだるデなし

自慢するデなし。

話に引き込まれてしまった。

中学のとき、我が家では、和彦の持ってくる二合の牛乳を、飲んでいたので、牛を飼っていたことは知っていた。

和彦は乳絞りをした後、二合壜八本を、コ一時間かけて配って、学校が終わると、壜の回収に、土日もなく、やっていたそうだ、「注意するっつったって、餓鬼だから、壜がわれんように、お袋が、一瓶ヅツ袋を作ってくれたが、走り回るもんで、しょっちゅう割れて、若木屋(酒屋)に代わりの壜を、頼んであった。」

 昔を今目の前にあるようにして話した。

 良い歳のとり方をしたなぁ和彦よ、俺も和彦みたいになれるかなぁ

 なんだか、お前を見ていると、超越していて、

今年の俺のテーマ 「彼岸と対岸(競争社会)の融合」 の一部が、みえてきたようなきがする。